makoto_history 02 -makoto KOMENTO-

まこと語録


★1「気がつくとバンドをやっていた。オリジナルの曲は中3の時には作っていた。」

 

★2「高校の頃はロックっぽいことはまだやってなくて、基本的にはフォークスタイルでやっていた。曲はほとんどがオリジナル。

 

★3「トワ・エ・モアとか、赤い鳥が来て労音の会報に原稿書いたり、インタビューしたりしてた。もうその頃から同じことやってる(笑)」

 

★4「毎日工場梱包詰めの毎日よ。なんでオレがここに入ってこんなことやってるんだろうって。

夜ビール買ってきて、寮の屋上でギター弾いて歌うのが唯一の楽しみだったの」

 

★5「(なぜ美大に?)オレ、今でもそうだけど、今日とか、明日とか、昨日ってぐらいしか頭にない人だからさー。将来こうなりたいとかないのよ。一切。」

 

★6「なんかオレの高校の先輩がスタジオにいっぱいいたのよ。呼ばれて遊びにいったの。ただ。そしたら社長や専務に『来週から来いよオマエ』って。

 

★7「山本又さんが、『マコいっしょに行こう』って言うから。ロス?明日ぁー?オレ、なに持ってけばいいの?みたいな。」

 

★8「もう、いろんなライブハウスとかホールライブとか行きまくったよ。陽水さんと一緒に行ったりとか。」

 

★9「なんかライターの仕事がごんごん入ってきて、それで社長(小池一夫氏)が、もうお前ここにいる必要ないだろうーって、

それでクビっていうか、辞めた方がいいよってことになって。

 

★10「そういった(制作の)ノウハウもある種、基本にして、あといろいろ(プロデューサー、ミュージシャン等の音楽の人脈)

関係が出来てて、レコード業界に入るきっかけにもなってるの。それで、フォーライフレコードの面接受けるんだよね、オレ。

でも後藤(由多加)さんが向いてないからやめろって言ったの。

制作とかやってるだけじゃなくて宣伝とか広告もやんなきゃいけないから、雑誌とかの方がいいんじゃないかって。」

 

 ★11「日曜の朝のラジオ番組でさぁ。『空飛ぶイルカ』ってのがあって、オレがゲストで行って、

しゃべってる時に別の名前をオレが作るって話になって、最初空飛べふくろうとか言って。それが、そらべふくろうに。」

 

★12「ももちゃんばんど」っていうのは、福祉施設とかで、ぬいぐるみと一緒に子供達に前で演奏するとか、全部そういう歌なの。作曲は全部オレだけど、詞はしののめれいさんっていうボーカリストが全部作ってる。

このメンツが集まったいきさつは、なんでなろうな。最初はオレとれいちゃんと明の3人だったのよ。最初のデモテープはこの3人で作ってる。

 

★13「ベルウッドレコードがデモテープ気に入ってくれて、ミニアルバムをだそうってことになった。それで永島慎二さんに、アルバムジャケット描いてもらって、すごい売れたんだよね。

 

  ★14「あの頃、デビューしてすぐ長淵剛を表紙にして、雑誌が売れるわけないんだけれども表紙にしちゃって。

オレが抜擢して...ぜんぜん売れなかったのよ。ほんとに。それがもう大きな原因じゃない、オレがクビになったの(笑)」

 

 

★15「やっちゃ場言っても、みんな女も好きだし音楽も好きだって奴しか集まってないの。

すごいのよ。やっちゃ場の若者ってさぁ、みんなバンドやってて。

やっちゃ場でパーティすると必ずさぁロックンロールパーティだし、PA持ち込みで。最高!切れてるよね。」

 

★16「下村誠バンドってのはフォークロック的な、ザ・バンドのようなバンドだった。」

 

★17「オレは髭とかはやしてて、いわゆるキタナイ格好でTシャツ、ヒゲ、バンダナ巻いて

ダァーってバナナブルー演るってのが第一部。

(すでに脱退していた)明(西本)とダディ(柴田)が来てね。でバナナブルーの曲を演った。

二部はナチュラルスピリッツで、一部と二部の間に当時クラブカットインっていうお店で勤めてた美容師さんが観にきたついでにオレの頭をカットするっていうイベントを裏でやって。

こんな長髪だったの、すごく短くカットして、髭も全部剃って、そして二部、別人のようになって、スーツ着て。で二部は断髪はしーの、髭も剃ってちょっと驚いたんじゃない?焦って髭剃るから血出たりしてるしさー。ようするにナチュラルスピリッツとバナナブルーは違うんだってことを根本的に分けるためにその一日で2つをやったのね。」「けじめなんだよね。バナナブルーを終わらせるっていうさ。だってこのメンツでやってる音楽をダディと明が抜けてしえんもいなくなることで再現できなくなるじゃん。ある種の悪あがきじゃないけど、じゃもう根本的に変えようと。スタンスもメンバーも変わることだから、バナナブルーをやめてナチュラルスピリッツになるという切り替えを一日でやっちゃったのね。」

 

★18「神戸でやったときは、やっぱり3人しかいなくて、途中でカップルが帰っちゃってさ。1バンド目(シシ)が終わったら、

オレ達が2番目だよ、ひとりしかいないのお客さん。シシのメンバーが着替えて出てきて、ひとりしかいないってのに気がついて、

やばいと思って盛り上げようとパーッと出てきてくれて。たのしかったよ、お金とか全然入んなかったけどさ。ツアーってね、一緒に風呂行ったりとかして。みんなで銭湯行ってその後酒飲んで、ゴロ寝して、夜をあかしてみたいな。で移動してライブ演ってみたいな。」

 

★19「解散の理由は、ギタリスト伊藤あゆき(後にボーカリストとしてデビュー)の脱退が決まったため。あゆきの存在は大きかった」

 

★20「単にねー、音楽を演奏する場所が欲しかったんだよね。ナチュラルスピリッツが解散しちゃって、ひとりでやるのいやだったんだよ。

なんかユニットやりたくてさ。(吉田)健吾と2人でやろうっていう最初のアイデアがあって、実際にやってる場面もあるんだけども。

で、次にバンドをやりたかったんだけど、こう呼びかけても集まらなかったから、とりあえずで健吾と宮谷君で始めちゃったの。まず1回だけね。

その後も、煮詰まってねぇ。なかなかメンバーが決まらないっていうか。ほんとは健吾がドラムでオレがギター、あとベース、キーボード2人は欲しいって言ったんだけど、結局つかまんなくて。(ナチュラルスピリッツのメンバーだった) 

みほ、あっちゃん(井上徳子)の2人は心情的に誘いたくなかった。だって解散しちゃった後だからさぁ。誘っちゃったらまた同じじゃん、

みたいな。でがまんしてたのね。で、そのがまんが長いんだわぁー。」

 

★21「作ろうと思って作ったんじゃないからね、あれは。だからすごいよね。自分とは違う異物な才能が向こうにいて、その人と一緒にセッションやってる感じだから。なんかそういうこともやりたいよね。」